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- 177 名前:名無しのAA描きさん。 投稿日:2003/09/06(土) 22:12
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 皆さん、寒冷前線というものを知っていますか? | 今日は寒冷前線と言う言葉が無かった頃のお話です。 \__ _________________ ━━━∨━━━━━━━━━━━━━━━━ 寒冷前線。 寒気の前線。 ,__ iii■∧ / ━ ミ,,゚Д゚彡/━━━━━∧∧━━━━ ∧∧━━ ミ ミつ ∇ (゚Д゚,,) (゚Д゚,,) ミ ミ┌─┐ /⊂ ヽ /⊂ ヽ 〜ミ ミ|□| √ ̄ (___ノ〜 √ ̄ (___ノ〜 .∪`∪ | .... | || ━┳┛ || ━┳┛  ̄ ̄ ̄ ̄ | | ====∧========== / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 寒冷前線なら知ってます。 \____ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 無かった頃の話ですか? \__________________
- 178 名前:名無しのAA描きさん。 投稿日:2003/09/06(土) 22:13
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 時は明治34年。 | 当時の日本の仮想敵国はロシアであり、 | 日本はロシアとの戦争を考えていました。 | そして、ロシアと戦争になった場合、 | ロシア艦隊に津軽海峡を押さえられ、 | 沿岸の鉄道が破壊された時に、 | 弘前〜青森間、青森〜八戸間の交通手段が必要でした。 | その場合、八甲田山系を縦断するルートが必要となります。 | これが八甲田山の遭難のはじまりです。 | そう、今日は八甲田山の遭難の話です。 | 今回、かなり八甲田山死の彷徨が入っています。 \__ _________________ ━━━∨━━━━━━━━━━━━━━━━ ・バックグラウンド。 鉄道が破壊された場合の、輸送・通信路の確保。 ,__ iii■∧ / ━ ミ,,゚Д゚彡/━━━━━∧∧━━━━ ∧∧━━ ミ ミつ ∇ (゚Д゚,,) (゚Д゚,,) ミ ミ┌─┐ /⊂ ヽ /⊂ ヽ 〜ミ ミ|□| √ ̄ (___ノ〜 √ ̄ (___ノ〜 .∪`∪ | .... | || ━┳┛ || ━┳┛  ̄ ̄ ̄ ̄ | | ====∧========== / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 映画でありましたよね。 \____ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 確か、最初に死ぬのが岸辺シローだとか・・・。 \_____________________
- 179 名前:名無しのAA描きさん。 投稿日:2003/09/06(土) 22:13
- / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| さて、遭難の原因は何だったのでしょうか? | 一部では、旧日本軍は非人道的だったとか言われていますが、 | んな〜事は無い、ちゃんと予行練習もして、 | その予行練習も一人の凍傷者を出すことなく、 | 危険はほぼ無いと判断されました。 | が、ここで寒冷前線が出てきます。 \__ _________________ ━━━∨━━━━━━━━━━━━━━━━ ・遭難の原因。 この日、強い低気圧が太平洋沿岸を北上していた。 が、当時にそんな観測手段は無かった。 この寒冷前線が青森5聯隊を襲う。 五連隊が出発した時、雪が降っていたが、 零下六度程度の青森の普通の気温であり天候も安定していた。 そして、順調に三キロはなれた幸畑には午前七時四十分、 更に三キロ離れた田茂木野にも午前十時には到着している。 が、その後、天気は急変。 以後本州北部は未曾有の寒気団に覆われ、猛吹雪が荒れ狂う。 この寒気団は、二十四日・二十五日に最低気温零下十二度を記録した。 この日、旭川で氷点下41度という日本列島で最も寒い日が記録された日。 ここれは未だ破られていません。 八甲田山中では平均零下20度以下になる。 この予測できない天気の急変が悲劇を呼びました。 ,__ iii■∧ / ━ ミ,,゚Д゚彡/━━━━━∧∧━━━━ ∧∧━━ ミ ミつ ∇ (゚Д゚,,) (゚Д゚,,) ミ ミ┌─┐ /⊂ ヽ /⊂ ヽ 〜ミ ミ|□| √ ̄ (___ノ〜 √ ̄ (___ノ〜 .∪`∪ | .... | || ━┳┛ || ━┳┛  ̄ ̄ ̄ ̄ | | ====∧========== / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | いきなり普段よりも6度も低くなったのか・・・。 \____ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 更に猛吹雪の中ですか。 \__________________
- 180 名前:名無しのAA描きさん。 投稿日:2003/09/06(土) 22:13
- / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 次に青森5連隊の編成です。 | 事前に八甲田山雪中行軍の下調べをしていたのが、 | 神成文吉大尉です。 | が、事前の予行練習のトラブルの無さから、 | また、赴任したての神成大尉のお目付けとして | 山口少佐(第2大隊長)の大隊本部が付随します。 | この行軍は神成大尉の指揮官としての育成も目的にあった為、 | 中隊の指揮官は神成大尉、雪中行軍部隊の指揮官は山口少佐となります。 | ここで指揮系統が混乱し、遭難に拍車をかけたといわれています。 \__ _________________ ━━━∨━━━━━━━━━━━━━━━━ ・編成。 青森5聯隊の雪中行軍指揮官は、山口少佐になる。 神成大尉は事前に下調べ、道案内の手配をしていたと言われる。 雪中行軍の命令下達の序列は山口少佐・興津大尉・神成大尉の順。 将校・下士官・兵、随行の大隊本部を併せて一個中隊編成、 210名(将校9名・軍医1名・見習士官2名・特務曹長4名・下士卒194名)の大所帯となった。 ,__ iii■∧ / ━ ミ,,゚Д゚彡/━━━━━∧∧━━━━ ∧∧━━ ミ ミつ ∇ (゚Д゚,,) (゚Д゚,,) ミ ミ┌─┐ /⊂ ヽ /⊂ ヽ 〜ミ ミ|□| √ ̄ (___ノ〜 √ ̄ (___ノ〜 .∪`∪ | .... | || ━┳┛ || ━┳┛  ̄ ̄ ̄ ̄ | | ====∧========== / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 軍医さんとかいたんだね・・・。 \____ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 指揮系統の乱れは聞きますね。 \__________________
- 181 名前:名無しのAA描きさん。 投稿日:2003/09/06(土) 22:13
- / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| さて、行軍計画ですが、夏ならば一日のピクニックです。 | ここを2泊3日の行軍としました。 | 内、危険なのは民家が切れる、田茂木野〜田代の間です。 \__ _________________ ━━━∨━━━━━━━━━━━━━━━━ ・行軍計画 青森〜田茂木野〜田代〜増(鱒)沢〜三本木間の行軍を決定。 この間の距離は約五十キロであり、 夏期ならば一日で余裕の行軍距離であるが、雪中である為三日行程となった。 一泊は田代温泉でウマー。 ,__ iii■∧ / ━ ミ,,゚Д゚彡/━━━━━∧∧━━━━ ∧∧━━ ミ ミつ ∇ (゚Д゚,,) (゚Д゚,,) ミ ミ┌─┐ /⊂ ヽ /⊂ ヽ 〜ミ ミ|□| √ ̄ (___ノ〜 √ ̄ (___ノ〜 .∪`∪ | .... | || ━┳┛ || ━┳┛  ̄ ̄ ̄ ̄ | | ====∧========== / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 夏は一日のコースで、温泉付き。 | 見た感じへなちょこに見えますね。 \____ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 確かに、夏ピクニックの場所で | 遭難するとは考えにくいですね。 \__________________
- 182 名前:名無しのAA描きさん。 投稿日:2003/09/06(土) 22:14
- / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| さて、実際の行軍です。 | 午前中までは寒冷前線が来ておらず、 | 順調過ぎるほど、順調です。 \__ _________________ ━━━∨━━━━━━━━━━━━━━━━ ・1月23日 6時55分。 神成大尉を行軍指揮官とした雪中行軍隊198名、 及び大隊本部12名の青森5聯隊雪中行軍隊は営舎を出発。 三キロはなれた幸畑には午前七時四十分到着。 更に三キロ離れた田茂木野にも午前十時には到着。 この田茂木野で事前に神成大尉に頼まれていた村民より 案内の申し出があったが、 大体本部の山口少佐が『駄賃が欲しいのか』追い返したと言われている。 この後、午前十一時半頃小峠に差し掛かった辺りで状況は一変する。 北西風が強くなり気温が急激に低下、吹雪模様となった。 携帯した握り飯や餅は石のように凍結し、昼食を取る事も出来なかったという。 ちなみにこの山口少佐、東京出身です。 ,__ iii■∧ / ━ ミ,,゚Д゚彡/━━━━━∧∧━━━━ ∧∧━━ ミ ミつ ∇ (Д゚#) (゚Д゚,,) ミ ミ┌─┐ /⊂ ヽ /⊂ ヽ 〜ミ ミ|□| √ ̄ (___ノ〜 √ ̄ (___ノ〜 .∪`∪ | .... | || ━┳┛ || ━┳┛  ̄ ̄ ̄ ̄ | | ====∧========== / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | DQN隊長、イッテヨシ!! \____ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 折角の申し出を断っちゃったんだ・・・。 \__________________
- 183 名前:名無しのAA描きさん。 投稿日:2003/09/06(土) 22:14
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 寒気が5聯隊を襲います。 \__ _________________ ━━━∨━━━━━━━━━━━━━━━━ ・1月23日続き。 この後、午前十一時半頃小峠付近で状況は一変する。 北西風が強くなり気温が急激に低下、吹雪模様となった。 携帯した握り飯や餅は石のように凍結し、昼食を取る事も出来なかったという。 雪中行軍に慣れていない兵隊は、懐に入れて凍らないようにする術を知らなかったのだ。 天候はますます悪化し、吹雪で視界もままならないほどだ。 このとき永井源吾三等軍医が天候悪化と現装備ではこの吹雪には耐えられない事から 神成大尉に雪中行軍の中止を申し出たが、山口少佐が行軍続行を指示する。 猛吹雪で、道はおろか、目印になるものが確認できず、 山口少佐は神成大尉にたいし、田代への道を捜す様に指示する。 が、結局、道は見つからず、平沢の森にて雪濠を掘り露営する事になった。 ここは田代まであと2kmの所である。 ,__ iii■∧ / ━ ミ,,゚Д゚彡/━━━━━∧∧━━━━ ∧∧━━ ミ ミつ ∇ (Д゚ ,,) (゚Д゚,,) ミ ミ┌─┐ /⊂ ヽ /⊂ ヽ 〜ミ ミ|□| √ ̄ (___ノ〜 √ ̄ (___ノ〜 .∪`∪ | .... | || ━┳┛ || ━┳┛  ̄ ̄ ̄ ̄ | | ====∧========== / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 2kmって・・・、声が届く範囲では? \____ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 吹雪じゃムリだろ。 \__________________
- 184 名前:名無しのAA描きさん。 投稿日:2003/09/06(土) 22:14
- / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| そして、指揮権が混乱したまま、日付が変わります。 | 寒気は益々強まり、吹雪で現在地さえも確認できません。 \__ _________________ ━━━∨━━━━━━━━━━━━━━━━ 1月24日 吹雪により、田代への道のりさえも定かでない。 兵士は雪濠に入り、寒さを凌いでいるが、気休め程度にしかならない。 そして、ここでまたしても指揮権の混乱が。 山口少佐は今からすぐに青森帰営をしようと言う。 神成大尉はむやみに動かず、朝まで待ち、 その後、田代までの道が確認出来るまで動くべきでないと主張。 が、意見がまとまらないまま、山口少佐は出発の号令を出す。 ここで最初の死者が出る。 雪濠の中で汗をかいていて、外に出たらその汗が瞬時に凍り付き、 岸辺シローが死んでしまう。最初の犠牲者だった。 山口少佐の指示の元、五連隊は来たと思われる方向に向かう。 兵士は凍傷や疲労で力尽き、バタバタと倒れていく。 が、吹雪で完全に方向を見失い、 五連隊は前方を駒込川の本流、川と絶壁に挟まれた深い谷に阻まれてしまった。 神成大尉はこの状態での露営は危険と判断、 (損耗したまま露営すると、そのまま逝っちゃうから。) すぐに出発をと大隊長に進言するが、山口少佐はその場で露営を決定。 鳴沢での露営の時点で40名の犠牲者を出していた。 一方、五連隊の津川聯隊長は、帰営するはずの行軍隊の迎えに 川和田少尉を幸畑まで派遣した。 ,__ iii■∧ / ━ ミ,,゚Д゚彡/━━━━━∧∧━━━━ ∧∧━━ ミ ミつ ∇ (Д゚ ,,) (゚Д゚,,) ミ ミ┌─┐ /⊂ ヽ /⊂ ヽ 〜ミ ミ|□| √ ̄ (___ノ〜 √ ̄ (___ノ〜 .∪`∪ | .... | || ━┳┛ || ━┳┛  ̄ ̄ ̄ ̄ | | ====∧========== / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | この時点で40人か・・・。 \____ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 指揮系統の乱れが目立ちますね。 \__________________
- 185 名前:名無しのAA描きさん。 投稿日:2003/09/06(土) 22:14
- / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 日があけて、山口少佐は斥候を出します。 \__ _________________ ━━━∨━━━━━━━━━━━━━━━━ 1月25日 露営地から斥候(偵察)を出し、田茂木野への道を探ります。 が、周りは吹雪で、見当もつかず無い状態で、帰り道も解りません。 斥候に行った伍長が戻ってきて、目の前の谷からの脱出路を発見。 隊は田茂木野に向けて出発したが、この日は馬立場の北方・中の森での露営となる。 この段階で青森5聯隊の雪中行軍隊の半数が犠牲となっていた。 この日、津川聯隊長は未だ戻らない行軍隊の迎えに今度は古閑中尉を幸畑まで派遣した。 しかし、この日も行軍隊は帰って来なかった。 ,__ iii■∧ / ━ ミ,,゚Д゚彡/━━━━━∧∧━━━━ ∧∧━━ ミ ミつ ∇ (Д゚ ,,) (゚Д゚,,) ミ ミ┌─┐ /⊂ ヽ /⊂ ヽ 〜ミ ミ|□| √ ̄ (___ノ〜 √ ̄ (___ノ〜 .∪`∪ | .... | || ━┳┛ || ━┳┛  ̄ ̄ ̄ ̄ | | ====∧========== / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | こりゃあ・・・、救援隊は来ないんですかね? \____ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | もう、ズタボロですね。 \__________________
- 186 名前:名無しのAA描きさん。 投稿日:2003/09/06(土) 22:14
- / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| この日になって、遭難したかも?と判断され、 | 救援隊が編成されます。 | と言うのも、雪中行軍隊は吹雪が酷いため、 | 田代温泉に避難しているのではないかとも考えられたからです。 | (当時、大きな町以外には電話は無いです。) \__ _________________ ━━━∨━━━━━━━━━━━━━━━━ 1月26日 この日、5聯隊の隊員は70名ほどになっていた。 山口少佐は寒さと凍傷で人事不省となり、指揮が出来なくなり、 脇を兵士に支えられて、行軍についてくる状態である。 吹雪は依然強く、神成大尉と大隊付き先任仕官の倉石一大尉が先頭に隊は進んだ。 吹雪の為、先頭の倉石大尉と神成大尉ははぐれてしまい、隊は二手に別れてしまった。 別れた一方、大尉と山口少佐以下数10名は再び駒込川の渓谷にはまってしまい、 それ以上動けずに救助隊を待つしかなくなった。 一方、田茂木野に向けて前進していた神成大尉は、 後藤伍長に田茂木野へ行き、遭難を知らせるように下令する。 この日、連隊長は三神少尉に地元案内人27名を含む、60余名の捜索隊を編成させ、 雪中行軍隊の捜索を命令する。 ,__ iii■∧ / ━ ミ,,゚Д゚彡/━━━━━∧∧━━━━ ∧∧━━ ミ ミつ ∇ (Д゚ ,,) (゚Д゚,,) ミ ミ┌─┐ /⊂ ヽ /⊂ ヽ 〜ミ ミ|□| √ ̄ (___ノ〜 √ ̄ (___ノ〜 .∪`∪ | .... | || ━┳┛ || ━┳┛  ̄ ̄ ̄ ̄ | | ====∧========== / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 山で遭難したら、河に沿って行けば | 麓に下りれると聞きましたが、 | こんな風に動けなくなるのですね。 \____ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 伍長は帰れたのか・・・。 \__________________
- 187 名前:名無しのAA描きさん。 投稿日:2003/09/06(土) 22:15
- / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| そして、この日救援隊が雪中行軍部隊を発見。 | 遭難は確実として、救助隊が編成されました。 \__ _________________ ━━━∨━━━━━━━━━━━━━━━━ 1月27日 この日の午前10時頃、三神少尉率いる捜索隊が 昨日、神成大尉の命令を請け田茂木野村へ向かった後藤伍長を発見。 後藤伍長は発見時、人事不祥の状態だったがまもなく蘇生し、 雪中行軍部隊全滅を伝える。 そして、捜索隊は午前11時頃に行軍指揮官・神成大尉の遺体も発見する。 午後2時30分頃、救助隊の伝令が聯隊本部に到着した。 聯隊長は大滝平にて後藤伍長発見、神成大尉死亡、雪中行軍隊は全滅の報を聞く。 又、救助隊60余名も、約半数が凍傷で行動不可と報告された。 この報を聞いた聯隊長はすぐに本格的な捜索隊の編成をする。 そして、210名中生存者11名を残して、雪中行軍部隊は全滅した。 ,__ iii■∧ / ━ ミ,,゚Д゚彡/━━━━━∧∧━━━━ ∧∧━━ ミ ミつ ∇ (Д゚ ,,) (゚Д゚,,) ミ ミ┌─┐ /⊂ ヽ /⊂ ヽ 〜ミ ミ|□| √ ̄ (___ノ〜 √ ̄ (___ノ〜 .∪`∪ | .... | || ━┳┛ || ━┳┛  ̄ ̄ ̄ ̄ | | ====∧========== / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | わずか、11名ですか・・・。 \____ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 正に全滅・・・。 \__________________
- 188 名前:名無しのAA描きさん。 投稿日:2003/09/06(土) 22:15
- / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| その後の事件処理です。 \__ _________________ ━━━∨━━━━━━━━━━━━━━━━ ・事件処理。 山口少佐は重度の凍傷だったが、救出されたが自決。(心臓マヒ説アリ。) 救出された11名のほとんどは重度の凍傷で手足切断を余儀なくされた。 世間・世界はこの山岳史上最大の惨事であるこの事件に注目した。 また、国は犠牲者に対して戦死者と同様の待遇をし、 二月二十五日には天皇・皇后両陛下より遭難死亡者の遺族に対して祭祀料が下賜された。 一方、国民から弔慰金が集まり、弔慰金は二十万二千五百八十五円四十四銭七厘になった。 捜索に従事した将兵延べ約六千九百人、人夫は延べ四万千三百七十六人。 最後の遺体が見付かるのは五月二十八日だった。 陸軍省支出の遭難関係費用は十四万三千六百六十六円五八銭五厘、 青森市の支出は八百四十三円八十七銭六厘であった。 なお、犠牲者の内、ほぼ無傷だった、倉石一大尉、伊藤格明中尉、長谷川貞三曹長の三名は、 日露戦争に於いて第二軍に所属し、黒溝台の戦いにおいて半数が戦死している。 ,__ iii■∧ / ━ ミ,,゚Д゚彡/━━━━━∧∧━━━━ ∧∧━━ ミ ミつ ∇ (Д゚ ,,) (゚Д゚,,) ミ ミ┌─┐ /⊂ ヽ /⊂ ヽ 〜ミ ミ|□| √ ̄ (___ノ〜 √ ̄ (___ノ〜 .∪`∪ | .... | || ━┳┛ || ━┳┛  ̄ ̄ ̄ ̄ | | ====∧========== / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | なんか、悲惨に上塗りをかけた結末ですね・・・。 \____ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 元気な生存者も後に戦死ですか・・・。 \__________________
- 189 名前:名無しのAA描きさん。 投稿日:2003/09/06(土) 22:16
- / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| うん、でも、手足を無くした人達は、手厚い保護があったみたい。 | さて、ここで課題です。 \__ _________________ ━━━∨━━━━━━━━━━━━━━━━ 冬季山岳地帯におけるメンチカツ運用と その活用法をレポートしなさい。 ,__ iii■∧ / ━ ミ,,゚Д゚彡/━━━━━∧∧━━━━ ∧∧━━ ミ ミつ ∇ (Д゚ ,,) (Д゚ ,,) ミ ミ┌─┐ /⊂ ヽ /⊂ ヽ 〜ミ ミ|□| √ ̄ (___ノ〜 √ ̄ (___ノ〜 .∪`∪ | .... | || ━┳┛ || ━┳┛  ̄ ̄ ̄ ̄ | | ====∧========== / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | いや、いちいち山にメンチカツ持っていく必要無いし。 \____ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 更に今、夏だし。 \__________________ http://toshi-joe.tsukaeru.jp/hakkouda.html http://www.toonippo.co.jp/rensai/ren2002/sechukougun/0127.html ttp://www.aomoritosyo.co.jp/kh02_kyodo/mokuroku/syousai/0101/yukinohakkouda.html <5聯隊の出身地>http://www.fgo.jp/~nonno/kanda1.htm http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2002/0613/nto0613_7.html <雪中行軍隊の悲劇>http://www.general-staff.com/rikusan/hakkouda.html http://homepage2.nifty.com/abem/hisamatu.htm http://toshi-joe.tsukaeru.jp/hakkouda_kiroku.html <5聯隊の出身地>http://www.fgo.jp/~nonno/kanda1.htm 倉石一大尉は、八甲田山死の彷徨の小説の中の興津大尉かな?未確認。 おしまい。
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